「来るもの拒まず、去るもの追わず」

来る者が敵意なら、火の粉同様払い、それが逃げたら、追って憎悪の炎を打ち消すまで。
・・・このように、ことわざなどイイカゲンで無責任。 知識をひけらかして愉快な人は、放りましょう。
あなたのしあわせを本当に願えば、格言一つであなたの身の振りを固定しようとはしません。

「来る」、「去る」、どうでもいい。 “あるがままに観る”をうたったことわざです。

・一方的感情で、「来て欲しくない」と拒否しない。
 来訪が、もしかしたら、あなたにとても有意義な相手かもしれない。

・一方的感情で、「追いかけよう」と息巻かない。
 逃げ去るものこそ、あなたを不幸にしていた元凶だったかもしれない。

これらを観きわめるため、「これ」「あれ」をじっくり、ゆっくり、観つづける。
すると、「これ」「あれ」の姿が“あるがまま観え”、その扱いも“あるがまま観え”る。
それに心と身を倣わせることが大切、ということ。


知識、格言・・・マニュアル通りに記憶しても、記憶力だけ高まります。
すべてはコンピューター任せをにおわせる現代。 とはいえ、そのプログラミングは、人間です。
人が、言葉、法則、技術、プログラミングを定める。 ・・・彼らに定められたら本末転倒、ヘンでしょう?

書面、ソフトのプログラムなど幻想の奴隷になってもしあわせはありません。
機械に絶対できないこと・・・観る。 観自在菩薩とは、わたし達に内在する、しあわせの姿です。

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